十三 紫の小袖
お美代は昼八つ過ぎにはもう晩の支度を始めていた。
息子の深一郎は今日は宿直で帰って来ない。夫と自分、次郎と卯助と長助に、今晩連れて来る下女、合わせて都合六人分を用意せねばならず、猫の手も借りたかった。熟(つくづく)、娘が一人でも居ればと思うのだが、生憎宿した子は深一郎一人きりだった。
何とかいつも通り昼七つに晩の支度を終えると、今の内にと、お美代はさっと風呂を済ませ……それから半刻後、日も段々と暮れてきた。
(遅いわね~)
と、お美代がやきもきしていると、
「只今お戻りになりました」
と、次郎の声がした。
(一体どんな娘を連れてきた事やら。吉井様の紹介だし。桑原、桑原~)
お美代は不安を抱えながら、玄関に迎えに出た。
「お帰りなさいませ」
「おっ、連れて来たぞ」
お美代はどれどれと拝見しようとしたが……夫の体が陰となり邪魔をした。紫色の小袖が僅かに覗くだけで。
「ん?」
と、夫が気付いて、体を退けた。
「おお、恥ずかしがらずに。さあ、前へ、前へ。お美代、紹介する。お藤だ」
(へっ?)
「さあ、挨拶をして」
「初めまして、奥様。藤と申します」
「……」
地味めの小袖とは打って変わった、その希に見る容貌に、お美代は驚いて言葉を失った。その二つの、大きな目に吸い込まれそうに……
「お美代!」
「はいっ」
と、お美代は我に返ったが……娘の名が何だったのか、出て来なかった。
「嗚呼、えーと」
「お藤だ」
「お藤。お藤ね、はいはい。初めまして」
と、お美代は調子を合わせていたが、ふと、次郎や卯助達の背後から、長助が覗き込んでいるのが目に入った。
次郎が気付いて、
「何だお前は、そんな所で。風呂は焚けているのか?」
「あっ。はい、焚けてます」
「おっ、長助」
と、夫が声を掛けた。
「今日から内に入るお藤だ」
「嗚呼、どうも……」
「始めまして、長助さん」
と、お藤が丁寧に頭を下げた。
長助は顔が真っ赤で、普段なら次郎が突っ込みそうな所だが、見てる方が面白いのか何も言わなかった。
「さて、一風呂浴びるか」
「ああ、次郎。お藤を裏から入れてあげて。それと部屋にも案内してね」
「はい、奥様。お藤ちゃん、こっちへ」
と、裏に回って行くのを、お美代は頻りに首を伸ばして目で追ったが、
「ほれ」
と、夫が大刀を目の前に差し出して遮った。
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