2017年1月11日水曜日

時代劇小説『みこもかる』 四 佐賀町(二)

【前回の『みこもかる』は?】北町奉行所定町廻り同心池田重太郎は貸本屋を捕らえるべく、川向こうの佐賀町のとある長屋へとやって来る。絵師の染七は近所の男どもや上さん連中を相手に潜りで艶本を貸していた。この程度の事なら普段は目を瞑るのだが……最近、染七は金に困ってもいるのか、嫁入り前の若い娘から、果ては十二、三歳ぐらいの年端のゆかない子供のような娘にまで本を貸し与えていた。






     四 佐賀町(二)

 若い下っ引きが走り去るのを横目に、重太郎は続けた。
「奴の家はどれだ?」
「右側の棟の、手前から三つ目です」
「うむ。次郎はそっちから裏に回れ」
「へい」
「伝蔵。済まないが、今行った若いのが帰って来たら、一緒に奥から反対側に回ってくれ」
「へい。承知しました」
「後は俺と一緒だ」
 少し待っていると、下っ引きが戻って来た。
「よし、行くぞ」
 と、重太郎は断を下した。
 人気の無い路地を、伝蔵と下っ引きが一足先に行く。
 その後を安五郎の先導で進んで行く。
 普段なら奥の方の井戸端に長屋の女房連中が群れていようものだが、人っ子一人誰の姿も見当たらない。皆異変に気付いて、自分の部屋に引っ込んでいるに違いなかった。
 染七の家の前を取り囲み、中の様子を窺うが……眠っているのか、物音一つしない。
 重太郎が顎で促すと、安五郎が油障子を叩いた。
 ドンドン。
「染七さん、居るかい? 染七さん」
「……」
 もう一度、ドンドン。
「染七さん」
「……」
 皆で雁首を揃えて声を押し殺す中を、風が流れた。
(磯の香りがするな……)
 重太郎は鼻をクンと鳴らして、今一度匂いを確かめてから、障子を開けるよう促した。
 安五郎が戸に手をやると、心張り棒などはしておらず、すっと開いた。
 居留守を決め込んでいたのか、布団に寝転がっていた染七が、びくんと身を起こした。矢場いと感じて、裏から逃げるつもりか、腰を上げたが、
「動くんじゃねえっ!」
 と叫んだ安五郎の凄みと、後から男達が雪崩れ込んで来たのに観念したのか、染七は布団の上にへなへなと座り込んだ。

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