【前回の『みこもかる』は?】朝の調べ番屋。北町奉行所の定町廻り同心池田重太郎は、同僚の吉井を相手に会話を交わす。話題は池田家の新しい下女お藤についてだが……その美貌に一人息子の深一郎が骨抜きにされたのではと、吉井が茶々を入れてきたが、生憎深一郎は昨晩宿直で、まだお藤とは顔を合わせていなかった。
二三 離れ
お美代は針仕事なんかそっちのけで……『見聞男女録(けんもんをとめろく)』を読み耽っていた。
(さ~て。先ずは前付の序か。ふむふむ)
京都在住の、鄙良香(ひなのりょうか)なる人物は芝居見物の際、立ち寄った古本屋で一冊の備忘録を見つける。備忘録には幾つかの歌物語が書き留められていた。その内の一つ『花の下の乙女』という話は実に良く出来ているので、この話だけを取り出して、新たに一冊の本に纏(まと)めたのが本書である云々(うんぬん)と書かれていた。
(お決まりの筆者紹介ね。どうせ出鱈目(でたらめ)だろうけど)
さて、一段目は『宇治の眺め』。此処からがいよいよ物語の始まり。
瘧(わらい)病を患った貴人は治療を受ける為、高名な聖の元へ赴く。その途上、宇治で中宿りをする。翌朝出立するが、此処で一句。
『橘の小島の春は色ふれど 今偲ぶるは雪の足跡』
晩春の宇治の風景を眺めながら、女の所に通っていた冬の頃を懐かしむという歌を詠む。どうやら貴人は恋に破れた後で、病もそれが原因らしい。
と、此処で、筆者が再登場。本人にとってこの事実が世に伝わるのはさぞかし不名誉であろう。故に貴人の名も官名も一切伏せる。以後は『憂(うれ)ひ君』と呼ぶ云々とある。
(『源氏物語』の『光る君』に比べたら、ぱっとしないわね。しかし、この辺りの駆け出しは『若紫』の話っぽくて、若い娘の読者が飛び付くのも頷けるわ)
と、此処まで読んだところで、
「奥様、食べ終わりました」
と、お藤が声を掛けてきた。
お美代は着物の下に本を隠すと、立ち上がって障子を開けた。
「一度、一緒に家の中を見て回りましょうか?」
茶の間から右回りに、奥の間、仏間、息子の部屋。玄関を挟んで、脇に雪隠(せっちん)、次郎達の部屋。お藤の僅か二畳の女部屋は飛ばして。台所と土間、風呂場、もう一つ雪隠。
と、此処まで来た所で、お美代は立ち止まった。
「この先の部屋にはまだ行っていないわよね?」
「はい」
「離れなんだけど、先代のお義父様が書斎に使われていた部屋でね。亡くなられた後も、ずっとそのままにしてあるのよ」
廊下を進んで部屋の前まで来ると、お美代は一度お藤の顔を見てから、少し勿体振る様にして戸を開けた。
部屋は雨戸が閉め切ったままで、土蔵の中のような暗さであり……いや、寧ろ部屋そのものは土蔵のような有様であった。部屋を埋め尽くさんばかりに、箱が幾つも重なって置いてあり、凡そ書斎というものには見えなかった。
時代劇小説『みこもかる』更新中! 大きな目の持ち主で、無類の本好きの女の子、お藤ちゃん。恋愛沙汰に巻き込まれて、商家での下女の働き口を失うという災難に。さてさて、次の新しい奉公先は……
2017年3月1日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
時代劇小説『みこみかる』 三三 井戸(八)
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。昨晩宿直だった息子の深一郎は、昼過ぎに目を覚ます。裏の井戸で顔を洗うが、手拭いを忘れてしまい、袖で拭こうとしたが……其処へ、お藤が来て、手拭いを差し出す。が、深一郎は誤ってお藤の手をギュッと握ってしまい、彼女を驚かせてしまうのだっ...
-
【前回の『みこもかる』は?】北町奉行所の定町廻り同心池田重太郎は、下女を紹介するという吉井の話を聞く為に、船宿『土筆』の一室を借りる。さて、その娘。お藤という名の信州女なのだが、恋愛沙汰に巻き込まれて、前の奉公先を辞めざるを得なくなったとかいう訳有りだった。 ...
-
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。昨晩宿直だった息子の深一郎は、昼過ぎに目を覚ます。裏の井戸で顔を洗うが、手拭いを忘れてしまい、袖で拭こうとしたが……其処へ、お藤が来て、手拭いを差し出す。が、深一郎は誤ってお藤の手をギュッと握ってしまい、彼女を驚かせてしまうのだっ...
-
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。妻のお美代は新しく来た下女のお藤に家の中を案内して回る。離れには亡くなった先代の蔵書が残されているのだが、部屋中本箱だらけで……お藤も面食らったようであった。 二十五 離れ(三) 台所に戻って来ると、 ...
0 件のコメント:
コメントを投稿