2017年2月27日月曜日

時代劇小説『みこもかる』 二二 調べ番屋

【前回の『みこもかる』は?】夫重太郎が捕らえた潜りの貸本屋の艶本の中に紛れていた公家物の御伽草子『見聞男女録(けんもんをとめろく)』。何でも、若い娘の間で人気とかで、昨晩、夫は寝ずに読み明かしたのだが……翌朝、妻のお美代は夫から本を借り受けると、針仕事は放ったらかしにして読み始めた。


     二二 調べ番屋

 季節柄か、調べ番屋の腰高障子は締め切られていた。
 供回りの三人の中で一番下っ端の長助は全く気が利かず……次郎が先回りして障子を開けた。
 重太郎が中に足を踏み入れると、いつも出足の遅い吉井が珍しく先に来ていた。
「遅いぞ」
「お前が早い」
 二人で掛け合いをしていると、
「池田さん、御早う御座います」
 と、昨日は姿が見えなかった山本が声を掛けてきた。自分や吉井とは一回り年の違う、若い定町廻り同心である。
「おっ」
 と重太郎が返事をしていると……吉井が横から口を挟んだ。
「ふっ。何だ、その目は? 隈(くま)が出来てるぞ。昨晩遅くまで艶本を読み耽ったか? それとも、お美代殿で試してみたのか?」
 吉井の吐いた言葉のどぎつさに、その場に居合わせた者達も流石に笑うに笑えず。
 周りに人が居なければ小突いてやる所だが……重太郎はそのまま框に腰を下ろした。
「あはははっ!」
 と、吉井の馬鹿笑いだけが土間に鳴り響いた。
「悪い、悪い。少々ふざけ過ぎた」
 吉井は右の掌を立てて謝ると、
「所で、どうだった、お藤は? お美代殿は気に入られたか?」
「ん、まあな。大丈夫だろう」
「おお、そうか。それは良かった……しかし、惜しい事をした」
「何が?」
「後で気が付いたんだが。俺ん所のおふさをそっちに回して、お藤を内に入れれば良かったんだな」
「今更遅い」
「交換しよう」
「断る」
「嗚~呼っ」
 と、吉井は残念そうに体を反らした。
「あっ、深一郎はどうだった? もう骨抜きにされたか?」
「深一郎は昨晩宿直で居なかった」
「何だ、まだ会っていないのか?」
 吉井は膝を叩いて残念がったが、
「ん、丁度今帰って来る頃合いか? よし、ちと覗きに行くか! 面白いぞ、きっと」
「旦那、どうぞ」
 と、吾作が茶を持って来て、吉井の戯言を遮った。
「おっ、済まんな。て、あちち」
 吉井が言った、骨抜き云々というのは正しくそうであった。
 お藤に懸想した例の男と同様、息子の深一郎も心を奪われるに疑いなかった。だが一方、息子はかなりの不粋者なので、お藤を目の前にしたら陸に口も聞けぬだろう。その男のような不義理な真似はしないとの信用もあり、要らぬ心配かと思われた。

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