2017年3月2日木曜日

時代劇小説『みこもかる』 二四 離れ(二)

【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。妻のお美代は公家物の御伽草子『見聞男女録(けんもんをとめろく)』を読み始める。貴人が病を癒すために高名な聖の元に向かうという出だしであったが……昨晩来た下女のお藤に家の中を案内する為、読むのを一時中止。家の中をぐるっと回って、最後残るは離れの部屋。亡くなった先代が書斎に使っていたのだが、部屋中に本箱だらけであった。


     二四 離れ(二)

「雨戸を開けましょうね」
 と、お美代は自ら取り掛かった。
 部屋の中に陽が差し込み、ぱっと明るくなった。
「箱の中身は全部本なのよ」
(さて、どんな顔をするかしら?)
 本箱の数も相当なものだが、その中に収められている本も全部合わせると軽く千を超えてしまう。今まで内に奉公に来た子は例外なく皆、この部屋に案内すると目を丸くして驚くのが常であった。当然お藤もそうなるものと期待して、お美代は顔を覗き込んだが……猫のような大きな目は然程(さほど)見開いておらず。
(あれれ。そんなに驚いていないの?) 
 お美代は拍子抜けしつつ、言葉を継いだ。
「この部屋の本は堅苦しいのだったり、変なのばっかりでね。家の者は誰も見向きもしないから、夏の虫干し以外は、開かずの間みたいになっているのよ」
「……」
「今日みたいな天気が良い日には、こうして外の風を入れてあげてね」
「……」
 お藤は聞こえていないのか、ぼーっと佇(たたず)んでいた。
「お藤!」
「あっ、はい」
 お美代が顔を覗き込んで呼び掛けると、漸く、お藤は我に返った。
(ははっ。やっぱり驚いているみたい。当然よね)
「掃除もこの部屋は毎日しなくていいから。偶でいいわよ」
「はい」
「日が傾いたら、適当な時に雨戸を閉めちゃってね」
「はい」
 部屋を後にしながら、お美代は両手をパチンと鳴らした。
「嗚呼、そうそう。言い忘れていたわ。内は主人の御役目柄、相談事や頼み事に訪れるお客様が多いの。玄関で私が話を聞く場合もあるし、茶の間に通して話を聞く場合もあるし。その時々なのよ」
「はい」
「お茶も、私が頼んだ時だけ、お出しすればいいから」
「はい」
「それと、もう一つ……聞いているかしら?」
 と、お美代は今一度、お藤の顔を覗き込んだ。
「あぁ……旦那様の身内の方」
「そう。内の人のお姉さん。たまに来るけど、少し性格がきつめだから、用心してね」
「はい」
 と、お藤は雛鳥のように小さく頷いた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

時代劇小説『みこみかる』 三三 井戸(八)

【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。昨晩宿直だった息子の深一郎は、昼過ぎに目を覚ます。裏の井戸で顔を洗うが、手拭いを忘れてしまい、袖で拭こうとしたが……其処へ、お藤が来て、手拭いを差し出す。が、深一郎は誤ってお藤の手をギュッと握ってしまい、彼女を驚かせてしまうのだっ...