2017年3月29日水曜日

時代劇小説『みこもかる』 二五 離れ(三)

【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。妻のお美代は新しく来た下女のお藤に家の中を案内して回る。離れには亡くなった先代の蔵書が残されているのだが、部屋中本箱だらけで……お藤も面食らったようであった。


     二十五 離れ(三)

 台所に戻って来ると、
「お早うございます!」
 と、野菜売りの留吉が戸口に顔を出した。案の定、お藤を一目見るなり、吃驚仰天。
「あら、お早う」
「あぁ、どうもお早ぅ……あ~! 新しい子ですかいっ?」
「そうよ。お藤というのよ」
 と、お美代は得意げに答えた。
「初めまして。藤と申します」
「嗚呼、こりゃどうも。野菜売りの留吉と申します」
 留吉は頭を上げた後も、お藤をがん見していた。
「お野菜、今日は何がお勧めかしら?」
「嗚呼、はい。茄子です、奥様」
「じゃあ、見せてもらおうかしら?」
「へい、どうぞ」
 お美代はお藤と一緒に、手に籠を抱えて、外に置いてある天秤棒の前に屈み込んだ。
「立派な茄子ね」
「へい。向島の寺島茄子ですよ。取り立て新鮮。見て下さい。この綺麗な色」
 留吉の声も一段と弾んでいた。
「いつものように、七掛け二、一四本でいいですかい?」
「ええ」
「どれにいたしましょう?」
「う~ん、そうねぃ……」
 いつもの掛け合い。結局、留吉が全部選んでくれるのが常だが……お藤が前のめりになって、天秤棒の籠の茄子を眺めていた。
「お藤ちゃん、選ぶかい?」
 はっ、とお藤は頭を引っ込めた。どうやら百姓の娘の血が騒いだらしい。
「いいわよ、選んで。さあ」
 お美代が促すと、
「はい」
 と、お藤は籠から念入りに一本一本を選び出していった。
「嗚呼、商売上がったりだ。良い奴ばかり選んでくぅー」
「あっ、ご免なさい」
「いやいや、冗談冗談。お藤ちゃん、見る目があるねぇ」
 留吉が片目を瞑(つぶ)ってみせると、お藤は初々しく笑みを返した。
「ははっ。さあさあ、選んだ選んだ!」
 お美代は傍で、楽しそうに残りの茄子を選ぶお藤の姿を眺めていたが……ふと、お藤の小袖が随分と着古しているのが、陽の下に居る所為か、或いは茄子の鮮やかな紫色の所為か、目に付いた。下女なら極当たり前の格好なのだが、お藤なら、空のような澄んだ明るい色や、紅葉のような艶やかな色もどんなに似合うだろうと想像した。自分の娘なら直ぐにでも新調してやれるのにとも。

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