2017年2月21日火曜日

時代劇小説『みこもかる』 二十 台所

【前回の『みこもかる』は?】北町奉行所の定町廻り同心池田重太郎宅では、信州出のお藤を下女として雇い入れたものだが……前の奉公先を辞めた経緯にしろ、郷での複雑過ぎる家庭環境にしろ、色々事情が目白押しで……妻のお美代は床に就いたのだが、それらが気になり、中々寝付けなかった。


  第二章

     二十 台所

「ふぁ~」
 と、お美代は大きな欠伸が出てしまい、咄嗟(とっさ)に口を押さえた。
 竈(かまど)の火の具合を見ていたお藤と目が合ったが……控えめな笑みが帰って来た。何とも可愛げで、女の自分でも思わずきゅんとしてしまう。
 我が家は定町廻り同心という御役目上、朝から訪問者が多かった。夫が手札を与えている御用聞きは二十人近く居る。それらが使いとして寄越す下っ引きが、毎朝四、五人とやって来る。更に、納豆売り、豆腐売り、蜆(しじみ)売りといった振り売りを加えると、朝から十人以上の男達が入れ代わり立ち代りに裏の水口に顔を出すのだが……それらがお藤を一目見るなり、次々と骨抜きにされていく様は将に圧巻で、女はやっぱり顔だとつくづく納得させられた。
 お藤と二人、朝餉(あさげ)の支度に追われていたが……またもや、外から足音が聞えて来た。
「お早う御座います」
 戸口に顔を出したのは髪結の十三だった。
「あら、十さん。お早う」
「あっ……」
 と、十三も早速お藤に目を惹かれていたが、他の男達のように口を開きっ放しにするような、だらしない真似はしなかった。
「奥様、代わりに来た子ですか?」
「ええ。お藤というの」
 と、お美代は顔だけそちらに向けて返事をしたが、
「初めまして。藤と申します」
 お藤は手を止めて、きちんと挨拶をした。
「こちらこそ初めまして。十三と申します」
「嗚呼、今最後の一人ですから、どうぞお座りになって」
 夫は使いの下っ引きと、縁側でまだ話の最中だった。
 十三は髪結の道具が入った台箱を置いて、板間に腰掛けた。
「うん……綺麗な肌をしている。おふぢさんは秋田の出かな?」
「いえ、信州の松代です」
「ほう。真田様の御領地」
「はい」
「それはまた遠い所から……」
 秋田というのは褒め言葉で、てっきり江戸近郊の村の出と思っていたのだろう。
「桶を取って来ます」
 と、お藤が台所を離れた。
「可愛い娘さんですね」
「ええ、まぁ」
 そんな会話を交わしていると、入れ代わりに
「奥様、終わりました!」
 と、下っ引きが土間に顔を出した。
「あら、御苦労様」
「へい」
 と、下っ引きは答えつつ、お藤の姿が見当たらないので、残念そうな顔を垣間見せた。
「それじゃあ、あっしはこれで失礼します」
 仕方なしに帰ろうとしたが……お藤が桶を手に戻って来た。
「嗚呼っ、お茶、ご馳走さまでした!」
「いいえ」
「それじゃ、どうも」
 下っ引きは最後にお藤と言葉を交わせる事が出来て、満足そうに帰って行った。
「よいしょと。さぁ、一仕事」
 と、十三が立ち上がった。
 お藤が桶に湯を注ぐと、ふわっと白い湯煙が立ち上った。
 お美代はその様をちらり見しながら、感心感心と頷いた。

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