【前回の『みこもかる』は?】北町奉行所の定町廻り同心池田重太郎宅では、下女のお藤を雇い入れて、初めての朝を迎えていた。その働き振りには、妻のお美代も満足気だが……裏の水口にやって来る下っ引きや振り売りが一人残らず、お藤に逆上(のぼ)せていく様は圧巻で……呆れつつも、女はやはり顔だと自問自答した。
二一 奥の間
そろそろ朝五つ。夫、重太郎が家を出る時刻で……お美代は着替えを手伝っていた。夫の背後に回って羽織を着せていたが、傍に置いてある包みが気になって、ついそちらに目が行く。
昨晩、夫は『見聞男女録(けんもんをとめろく)』なる公家物の御伽草子を読み耽っていたのだが……奥の間を見渡しても、何処にも置いていない。という事は、やはり、一晩で読み終えたという事か。で、今はあの包みの中……
「読みたいか?」
「えっ?」
「読みたいなら、読んでもいいぞ」
「宜しいのですか?」
「ああ。だが、一応証拠の物(ぶつ)だからな。いつまでも戻さないのは不味い。読むなら今日か明日中にでも読んでしまえ」
「はい」
と、お美代は浮き浮きしながら、刀掛けの小刀を取った。
「あー、お藤の目には触れないようにした方がいいかもな」
「えっ、何故です?」
「一応男女の恋の話だからな。前の奉公先で、ああいう事があったばかりだから……変に思い出して、気を揉んだりするかもしれん」
「嗚呼、そうですね」
「今はとても読む気分じゃないだろう」
「はい。分かりました」
夫を見送りに玄関に出ると……くっちゃべって和んでいた次郎達が口を閉じて、すっと立ち竦んだ。
「行ってらっしゃいませ」
「うむ」
夫達の姿が見えなくなると、お美代は台所に顔を出した。
お藤は丁度お茶碗にご飯をお替りしようとしている所で……目が合うと、お藤はしゃもじを引っ込めて、お櫃(ひつ)の蓋(ふた)を閉めようとした。
「嗚呼、直ぐに用事がある訳じゃないから。いいのよ。遠慮しないで、好きなだけ食べなさい」
「はい」
「急がなくていいから。ゆっくりでいいわよ」
お美代は障子を一つ隔てた茶の間に行くや、着物や裁縫道具を広げて、如何にも針仕事をしているように偽装した。そして、奥から『見聞男女録』を持って来ると、こっそり読み始めた。
時代劇小説『みこもかる』更新中! 大きな目の持ち主で、無類の本好きの女の子、お藤ちゃん。恋愛沙汰に巻き込まれて、商家での下女の働き口を失うという災難に。さてさて、次の新しい奉公先は……
2017年2月26日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
時代劇小説『みこみかる』 三三 井戸(八)
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。昨晩宿直だった息子の深一郎は、昼過ぎに目を覚ます。裏の井戸で顔を洗うが、手拭いを忘れてしまい、袖で拭こうとしたが……其処へ、お藤が来て、手拭いを差し出す。が、深一郎は誤ってお藤の手をギュッと握ってしまい、彼女を驚かせてしまうのだっ...
-
【前回の『みこもかる』は?】北町奉行所の定町廻り同心池田重太郎は、下女を紹介するという吉井の話を聞く為に、船宿『土筆』の一室を借りる。さて、その娘。お藤という名の信州女なのだが、恋愛沙汰に巻き込まれて、前の奉公先を辞めざるを得なくなったとかいう訳有りだった。 ...
-
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。昨晩宿直だった息子の深一郎は、昼過ぎに目を覚ます。裏の井戸で顔を洗うが、手拭いを忘れてしまい、袖で拭こうとしたが……其処へ、お藤が来て、手拭いを差し出す。が、深一郎は誤ってお藤の手をギュッと握ってしまい、彼女を驚かせてしまうのだっ...
-
【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。妻のお美代は新しく来た下女のお藤に家の中を案内して回る。離れには亡くなった先代の蔵書が残されているのだが、部屋中本箱だらけで……お藤も面食らったようであった。 二十五 離れ(三) 台所に戻って来ると、 ...
0 件のコメント:
コメントを投稿