2017年4月8日土曜日

時代劇小説『みこみかる』 三一 井戸(六

【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田重太郎宅。妻のお美代は下女の件で訪ねて来た三河屋(口入屋)の応対をする。夫の同僚の吉井が紹介した下女を雇い入れた事を詫びるお美代。三河屋は次回こそは手前に紹介させて下さいと懇願しつつ、序(ついで)に、最近、口入屋の間で出回っている触れの事を話し出す。何でも、とある大店で恋愛沙汰を起こした、とんでもない小女がいるという話であったが。十中八九、いや、間違い無く、内に新しく来たお藤の事と思われ……


     三十一 井戸(六)

「言い寄ってきたのは男の方だ。こちらは悪く無い。そんな事より、早く新しい仕事を紹介しろと凄んで来て。その口入屋は随分と怖い思いをしたそうですよ。無茶苦茶な話だと思いませんか? 問題を起こしておいて、次の仕事を紹介しろというのは?」
「はぁ」
 と、お美代は一応相槌をしておいた。
「きっとあれですよ」
 と、三河屋は声を殺し、左目を顰(ひそ)めて、
「お藤とかいう娘を使って、奉公先の主なり、その息子を誘惑して、体の関係を持たせて。その後で、無理矢理手籠めにされたとか騒いで、金を出させる。美人局、強請りの常習犯ですよ、きっと。内にも来ないかと戦々兢々していますがね……因みにその娘の名はお藤というのですが、半次郎諸共信州者だそうですよ」
(大当たり~! とか言っている場合じゃないわね。何だか凄い言われ様なんですけど。う~ん。今、内に居るのがその本人ですなんて、とても言えないわ。違う名を言って誤魔化しても、後で知れたら気不味いし。はぁ、困った!)
「私も人に会う毎に、その二人組には気を付けるよう言ってるんですよ」
「嗚呼、そうなんですか。怖い話ですわねぇ。主人の耳にも入れて置かないと」
「はい。その方が宜しいですよ」
「態々お知らせ下さり、有難う御座います」
「いえいえ、こちらこそ御役に立てれば何よりです」
「必ず主人に伝えて置きますっ!」
 と、お美代は語尾を強めて、深々と頭を垂れた。
 三河屋もこちらの雰囲気を察したようで、
「ああ……では、手前もそろそろ失礼します」
「今日は御足労を御掛けして、申し訳御座いませんでした。次の機会の時は宜しくお願いします」
「はい、こちらこそ。次こそは必ず真面目な子を紹介させて頂きますから」
 と、三河屋はやっと帰ってくれた。
(ふ~。立ちっ放しで話を聞くのも疲れるわね)
 お美代は額の汗を拭(ぬぐ)うと、菓子箱を持ってそのまま台所に出た。
「お客様は帰られたわ」
「はい」
 お藤はお茶が出せるよう準備はしていたようだが、空振りとなった。三河屋がお藤と顔を会わせたら、どんな顔をするか? 見物と言えば見物だが……
(まぁ、会わせない方が正解か)
「これ、中身は煎餅だから。八つのお茶の時に頂きましょう」
「はい」
「掃除は終わり?」
「はい。茶の間意外は終わりました」
「茶の間はお昼の後でいいから」
「はい」
「それまでは、針仕事をお願いするわ。次郎達の分の綿入れをして欲しいの」
 と、あれこれと指図をした。
 お藤は大きな目を見開きながら、
「はい」
 と、その都度深く深く頷いて……やはりどう見ても、自分から男に言い寄って、ちょっかいを出すような尻軽には見えなかった。それに、慶庵(けいあん、=口入屋)の間に出回っているというその触れは、何処か悪意の様な物が感じられたし。

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